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ミーコワールド

ミーコワールド

六章

     [六章]

次の月命日の前夜、森本から電話がかかってきて「明日、昼過ぎにそちらに行きますがいいですか」と言ってきた。 
僕は「どうぞ、お待ちしています」と答えると嬉しそうに弾んだ声で「じゃ、チョコレートとウィスキーを持って行きます」と言った。
僕は「あればメチャクチャ大きなグラスも買って来て下さい」と言ってやったら
「ハイハイ、なみなみと注いで飲みましょう」と言って笑いながら電話を切った。

そして次の日、森本は本当に大きなグラスを携えてやって来た。
僕は分骨した入れ物に白い布をかけて、小さな祭壇を作っておいてやった。
「先に現場へお参りに行きますか」と聞くと森本は「余り他人の土地でああいう事をするのは地主に失礼かも知れない。
こうしてささやかでも祭壇を作って下さったのですからここでお参りをさせて頂きます」と言って灯明に火を点け、
線香はかばんの中から出して火を点けた。前月、山でかいだあの線香だった。
「とても良いかおりですねえ。これは沈香というのでしょうか」と僕が尋ねると
「そうらしいです。高校生の頃、久江が一度、僕の家に来た事があります。突然、夕方に来たのですが僕の顔だけ見て帰ってしまったのです。
次の日学校で、昨日モッツンのお家、とてもいい匂いがしていた、と言ったので母に聞いたら仏壇の線香だろう、と言ったので一本だけ
ポケットに入れて仏具屋に行き、これは何の線香かと聞いたのです。そしたら沈香のかおりです、と教えてくれました」

森本は淡々としているが、本当は久江しか愛せなかったのではないか、とその時思った。
そうでなければそんな事を高校生の小僧がする訳がない。
それを、これ程はっきり覚えているはずがない。 
当時、青年になりかけの森本には大人びた、いとおしさの感情が育ちかけていたのだろう。

「森本さんの思い出って他にもありますか」と聞くと「改めて聞かれると困りました」とまた、はぐらかされてしまった。
そして、ホロ酔いになった頃「梶さんはどうして今、一人なのですか」と逆に尋ねられた。 いずれ尋ねられるだろうと思っていたが、こんなに早くその時期が来るとは思わなかった。 
「10年余り前に僕はウツになりました。その時、彼女の事で耐えられないくらい辛くなって毎日が辛くて辛くて、そうかと言って
妻にも申し訳ない気持ちで一杯になって妻に正直に言いました。そして別れたのです。
しばらく、病院通いをしていたのですが、転地療養をした方が良いだろうと言われて遠い親戚を頼ってこちらに来て、そのまま住み着いたのです。
彼女はそれから美容師になったのですね。僕は知らなかった。あんなになっていても頑張ったんですねえ。
ところで森本さんはどうして独りなのですか。結婚はしなかったのですか」と尋ねると少し顔を歪めて

「梶さんに比べると僕はひどい亭主ですよ。彼女が離婚したと友達から聞いて僕は確かめました。
当時彼女はひどいウツ状態で、誰とも話さない、しゃべらない、子供を引き取ったのはいいけれど面倒を見る事ができない、
それで子供を友達夫婦に預けて独りで暮らしていた。僕はそっと見に行ったのですが、電気が消えてしまって真っ暗で
中にいるのかいないのか判らない。僕は一晩中、近くの空き地に車を止めて見ていました。
朝になると無表情でやつれた彼女が出て来てバイクで病院へ行く、それを見て僕は涙がこぼれました。
それから僕は家で露骨におふくろや家内に八つ当たりするようになりました。
おふくろは彼女の離婚を知っていたらしく、僕をたしなめましたが、僕にすれば彼女が突然、僕から逃げるようにして離れて行ったのは、
夕方僕の家へ来た直後からだったので、おふくろがあの後、久江に何かしたのではないか、と思ったのです。 
今でもそう思っています。
僕は梶さんのように正面切って家内には言えませんでした。
しばらくしてまた久江の家へ見にいくと空家になっていました。
飲んで帰っては家族に当り散らす、毎晩のようにそんな日が続くものですから家内は子供を連れて実家に帰りました。
僕はそれから久江を探したのですが・・・・。
見付からなかったのです。 
ある日、友達から電話を貰い、久江を見かけたので森本が今独りでいるから連絡するように言っておいたと言うのでおふくろに、
もし電話があったら連絡先を聞くか、夜遅くもう一度かけて来るように言ってくれ、もし、もしも、訪ねて来たらどんな事してでも
引き止めておいてくれ、と強く言いました。それから僕はできる限り早く帰宅して連絡を待ちましたがとうとう、電話もかかってこなかったのです。
僕は久江の状態が状態なので誰かれなしに消息を尋ねるのはかわいそうだと思って一人で探したのですがとうとう見つける事はできませんでした。 
それが10年ちょっと前の事です。そして突然、今年の節分の電話です」

「そうでしたか。 僕と同じような事だったのですねえ。僕もボロボロになった彼女のようすを見ていて耐え切れなくなりました。
どうしてもっと早く連れて逃げてやらなかったのかと、そればかりが頭の中を駆け巡っていました。
そう思うともう、ダメですねえ。
いけない、僕まで落ち込んではいけないと思うと坂道を転げるように落ち込んで行きましたねえ。
でも森本さんの奥さんも災難ですよ。突然、夫が豹変するのですから」と言った僕に森本は
「いや、元々好きで結婚した訳ではなかったので形だけの冷たい夫婦でした。見合いをしておふくろが気に入って貰った嫁だったので。
世間体だけでも取り繕ってくれ、と言われました。
僕にすれば久江でなければ誰と一緒になっても同じだったのですよ。
会話のない夫婦で寝室も別の方が多かった。
おふくろはそんな僕に光子をどうしてもっと大事にしてやらないのか、と言うので母さんが気に入って貰った嫁だから母さんが大事に
してやればいいじゃないか、とか世間体は取り繕っているのだからそれでいいじゃないか、とか屁理屈ばかり言って困らせました」
「何だ、この前はあんな事言っていたのに、やはり森本さんも彼女を手元に置きたくて必死だったじゃないですか」
「実はそうなんです。この前、梶さんの話を聞いていて、この人は何て素直で正直な人なんだろう、と思うと僕は自分の不正直さを知りました。
それで・・・・・、この次また来てもいいと言われたので、この次には僕も素直で正直になろうと思って帰りました」
「僕も森本さんも、夫としても父親としてもひどい男じゃないですか」
そう言うと森本は少々嫌な表情で苦笑いをした。

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